つながる。
久々の更新となりました。
ここの所、、、あえて表現するなら【白紙】状態。
なんか浮かんでは消え、浮かんでは消え。
ブログに書こうと思ったことさえ、忘れてしまうのです(苦笑)
ふと思い出したりしてみても、
「あー・・・、書かなきゃなぁ~」って感じだったので
義務感なら、やめとこーってなった訳です。
だけど、書かなくなると、やっぱり頭の中が整理できてないコトに気づく。
整理と言うか、自分が何を考えているのか、分からなくなる感じ。
〝紙がない時は、考えない〟と決めて、
しばらくボーッとした日々を過ごし。
今日は考えるぞーっと、いざ紙を目の前にした時。
意外と出て来ないッ!
ま、そんなもんよね(苦笑)
出て来るのは、なかなか答えの出ないお題目ばかり。
オモシロいほどの、自分らしさの欠如。
それも【境界性人格障害】の、ひとつの症状らしい。
調べてみると、当てはまる文言を見つけた。
人は、これまで重ねてきた体験や自分が抱えている多面性を統合した全体像を描けるようになって、自分はこういう人間だと認識することができます。しかし、境界性人格障害の人は、こうした自分の全体像が描けずにいます。心の中に確かな自分という拠り所がないため、自分に対するイメージが相手次第で良くなったり悪くなったり、大きく変化してしまいます。
【出典】境界性人格障害の症状:自分がない
とにかく感情が不安定で、ぶれが激しいのが特徴のようです。また、自己の「多面性」、自分自身の「全体像」を描けないため、対話する相手次第で「自分」というものが様々に変化してしまうようです。「自分はこういう人間だ」という確立されたアイデンティティがないということでしょうか…。
境界性人格障害の人は「確かな自分」が無いため、周囲の働きかけなしに自分の存在を実感することができません。見捨てられ、一人にされることは、自分の存在をゆるがすような耐え難いことです。だからこそ、相手の言動にひどく敏感になったり、激しい不安を解消するために無謀な行動に出たりします。
【出典】境界性人格障害の症状:見捨てられ不安
自己同一性障害
⇒他人と自分を区別他人と自分を区別できなくなり、他の人と自分を重ね合わせて同じように感じたりしてしまう。
私、この『境界性人格障害』と言う言葉を受け取った時。
たぶん、嬉しかったんだよね。
人とは違うって感じがして、コレが私の特徴みたいな気がして。
だって、コレのおかげで生きてこられた部分も大きいから。
私は他人の痛みを分かる〝イイ人〟でいられた。空気を読める人でいられたし。
何より、これで言い訳が出来るから。
自分がないコトに、「病気だから」って言えるじゃん?
それに安心したのかもしれない。
自分がないコトへの、劣等感。
私だけじゃなくて、きっと、これに悩まされる人が多いからこそ、
自己啓発系のセミナーが、たくさんあるんだと思われ。
生きている意味を求めて、自分の存在価値を求めて、
〝天命〟とか〝使命〟とかに、囚われてしまうんだろうなぁ~。
アレと同じ感覚だよ、きっと。
占いとかでよく見かける、 『運命の人と出会う方法』
んなもん、〝運命〟だったら、方法論の問題やないやろーーって(笑)
運命・・・一般に,人間に与えられた逃れることのできないさだめを意味する語。宿命とほぼ同義。
(世界大百科事典 第2版より)
きっと、天命も使命も、探しに行くモノじゃない。
気付いたら、その手にあるモノじゃないかと、私は思う。
だから、私は、自分がない自分にも、〇を付けるコトにした。
無理に〝自分らしさ〟を探し求めるのは、諦める。
たぶん、自分が気づいてないだけで、周りの人たちは、私の〝私らしさ〟を
知ってると思うから。
それでも、私と一緒に居てくれる、そんな人たちが存在してくれていたら、
私はそれでいい。
極論、自分がないコトが、自分らしさでもOKな訳じゃん?( *´艸`)笑
1つ1つの事柄を、丁寧に
好きか嫌いか、仕分けしていくしかないよね。
まさに、コレだ。
「ギューッ(大切)か、ポイッ(いらない)で」
境界性人格障害の話ちゃうんかいッ!・・・って感じですが(笑)
これが、【編集】と言うコトらしい。
人生を編集しながら、生きて行くと言うことは、自分が得たモノを
〝つなげる〟コトだと、私は受け取りました。
この時↓ そう、教わった。
あ、念のため補足しておきますが、
水瓶座の人が、全て境界性人格障害って訳ではありません。←当たり前だけどw
こうやって、ひとつひとつがリンクしてくると、なんだか嬉しい。
あくまで私の実証です。