スーパーヘビー級
Facebookで見かけたブログ。
心屋系の方が書いたモノで、『スーパーヘビー級の女』と言うタイトルで
始まっていた。
私は「特別」になりたかったんだ。
「一番かわいい生徒」になりたかった。一番かわいくて、一番ひいきされる生徒。
そう、ブログに書いてあった。
なんかねー、泣きそうになったと言うか。
ワタシ的には、激しく共感できる部分なんだけど、
たぶん、私はこれを読んで凹んだ。。。
そんな自分に気が付いて、私は〝そんな自分〟がキライだったんだなーって思った。
どんな自分にも〇を付けるって、意外と難しいコトも実感しちゃって。
さらに落ち込む(苦笑)
好きな人には、特別扱いされたいのだ。みんなと一緒じゃ不満なの。私が一番じゃなきゃ嫌なの。
・・・そう続くブログの内容が、響いてイタイ(;´Д`)
だけど、そのブログはさらに続いて。
対象が好きすぎるほど、言えないのだ。なぜなら、私の愛は重いから。(中略)対象が好きすぎるほど、言えないのだ。なぜなら、私の愛は重いから。
私にはその自覚がなかった。
・・・っと言うより、なんで「特別」や「一番」にこだわるのかなんて
考えたコトがなかった。
ただの自己満だと思ってたから。
好きになりすぎてしまうのが嫌で抑えて抑えているうちに「好き」が言えなくなってしまってそのうち、好きなのかどうかすら、分からなくなってしまった。
突き詰めると、 好きなのかどうかも分からない。
そのレベルまで同じ。
私も、それだけ対象を好きだったってコトか・・・?!Σ(゚д゚lll)
好きになりすぎてしまうから「好き」に応えてもらえないと悲しいから失うことの不安が大きくなるから
失うコトの不安。。。
好きすぎるからなんて、、、考えもしなかった。
私は、相手に思ってもらうコトばかり、こだわっていた気がする。
このブログの筆者は、最後にはそんな自分を受け入れてました。
私は、、、無理だ(苦笑)
いや、無理じゃないけど、、、腑に落ちない。。。(´Д`|||) ドヨーン
私の価値観の中で、重ーーい〝好き〟は、押しつけがましいの。
相手の負担になる想いなんて、ホンモノではない気がする。
もしかしたら、私がホンモノだと思っているモノは、〝愛〟とか言われるモノに
近いのかもしれないけど。
どーしても、違う感覚に思えてしまう。
・・・コレも何かのブロックなのかしら??
これが、私の価値観です。・・・っで、いいのかしら??
だって、「特別」や「一番」は、相手が決めるコトじゃん?
私の中で、特別や一番であっても意味がないの。
相手が私を、「特別」扱いしてくれないと嫌。。。
なんて傲慢なんだ(´д`ll)
正しい答えがないのも分かっているけど。
言い切れる、根拠のない自信も、今の私にはないし、
もしかしたら、〝正しさ〟を求めすぎてるのかもしれない。
傲慢がダメなんて、誰が言ったんだろ?
自分がないと言うコトは、どんな自分にもなれると言うコト。
私はそう受け止めて、〇を付けた。
だけど、なんにでもなれると思うと、さらに迷う(苦笑)
【姫】にふさわしい人間になろう!・・・とは思えないし、
私ごときが姫なんて、おこがましい。と、まだ思ってしまう自分が居る。
人は思ってる以上に、〝常識〟に苛まれてる。
もしかしたら、スーパーヘビー級でも良いのかも?!ww
どっちにしろ、悩みたいお年頃は卒業できないみたいw
アホやー(^^;;;)