【誰かの希望になるために】

ココロを開く、リハビリブログ。

課題

ドラマ【嫌われる勇気】を、観てます。

実は原作は読めてない(苦笑)

なんかイマイチ読み進められなくて。。

 

 

ドラマだと、意外と入って来やすい感じ。

タイトルにも書いた【課題】

ドゲみたいにチクチクと、私を刺した模様。。

 

 

観れば観るほど、私は他者の課題に介入しすぎるコトに気が付くんだよね。。

私は所謂『おせっかい』ってヤツで、

求められてもいないのに、よく口出ししてるし。

『可哀そう』とか『大変そう』とか、自分の想いを相手も同じように

想っていると思い込んでたり。

 

 

主人公の果里奈が、無表情で言うわけさ。

 

『それはワタシの課題ではありません。』

 

 

 

原作にはどう書いてあるんだと、ちょっと覗いてみたら。。。

『相手の期待を満たすために生きてはいけない』とありました。

私が〝善かれ〟と思ってした行動も、

たとえその時、良かったとしても。後々同じようなコトが相手に起こり、

結果的に、当人はそれを解決するコトが出来ない。。

『その選択によって、もたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?』

・・・ってコトに、なるんですよね。

 

 

課題の分離、と言う考え方らしい。

 

相手が自分のコトをどう思うおうが、それは相手の課題であって

自分の課題ではない。

ただ、自分の信じる最善の道を選択する。

 

 

原作は、表現が?すごく難しい感じがして。

漠然と、、っと言うか、全てがフワフワしてる感じ。。

分かりやすくて簡単が文章を好む私には、とてつもなく苦手な感じでw

だから、まぁ読み進められなかったんだろうけど。。

ドラマがすごいのは、やっぱ〝脚本〟だよねぇ~!

 

アドラー要素を取り込んだ内容にするって、相当しんどい気がして(苦笑)

改めて、読もうと思わせるドラマに、ひたすら関心。。

 

 

私は、他者の課題に介入しすぎる。

その認識があるだけで、ずいぶんと自分の対応が変わる。

時に全然平気だったり、時にすんごく罪悪感を感じたり。。

だけど、意外とねー、対応を変えても、他者は何も変わらないのよ。

私が勝手に、罪悪感を感じてただけの時が多い(苦笑)

新しい発見かも。。

 

 

 

 

周りが言ってこないから、私も言っちゃダメだーって思ってたけど、

自分がカッコつけてただけだった(笑)

アレして~。コレして~。手伝って~。って

言ってみたら、冗談めかした文句をつけられながらもw

みんなやってくれるんだよね。

これまでは、〝冗談めかした文句〟ってヤツが、嫌みに聞こえてたりも

したんだけど。

 

意識が変わると、受け取り方も変わるみたい。

 

 

何を信じるのか、信じたいのか。

自分の思う通りに、まっすぐ進もう♬